神様と一緒に生きるって? 3

自分の足で歩き出す。

それが大事。

まずは最初の一歩から。

そして、2歩、3歩、4歩と歩いてみて、いろいろと試行錯誤する。その過程を神様はずっと見ておられます。なにしろ、神に発願し、誓いを立てて始めたことですから、神様もほってはおかない。

そして、いよいよ5歩目、6歩目まできて、「この発願は本物だ」「よく努力した。評価できるな」と神様が思われたときに、ずばっと守護してくださり、その証が現れるのです。

肝心要のところで有力者に引き立てられたり、ありえないようなラッキーで就職が決まったり、「奇跡だ!」と思えるようなことがおきます。

もし、それまでの努力の過程が間違ってたとしても大丈夫。どこがどのように間違っていたか、必ず教えてくださいます。そして、間違った努力の経過さえ生かされる道を用意してくださいます。
間違いは誰にもありますが、神様は反省と改心が大好き。ちゃんと謙虚に反省して改心した人には、かえって大きな成功が得られるように導かれる。

神様と一緒の人生って、本当に安心していいんですね。


これをワールドメイトでは「自力と他力が十字に組む」といいます。


こういうことを通して、本当に実在の神を掌握し、神を行じ、神人合一の道を歩むことができるんですね。そして、自分自身が立派になり、少しでも世に益することをして、自分も人も幸せにすることができるのです。

たまに、退会者の方が、「何も良くならなかった」と言ってると聞きますが、こうしたことにはまるで言及されない方がほとんどです。

神に対する正しい祈り。
自分の足で歩む正しい努力。

このふたつがあわさったら、必ず神様が守護し、導いてくださる。ワールドメイトではそう教えられているのです。

考えたら、これほど自然で、これほど心強いことはありません。

神様と一緒に生きるって? 2

志を立てれば、神様が興味を持ってくださいます。
そして、「どうするのかな?」と気にしてくださるのです。

志を立てるのは、どんなことでもいいです。
自分が立派になり、人を幸せにして世のためになることなら、神様は必ずお喜びになります。

「立派な調理師になる」でもいいし、
「世界的な画家になる」でもいいし、
「外国語をマスターする」でもいいでしょう。

もちろん、どうせなら大きくて、より困難なほうが、達成したときに、より多くの人を幸せにできますし、自分の人生も輝かしいものになります。

しかし、たとえば「億万長者になる。あとはお願い!」などと神様に勝手なことを言って家で寝てても、神様が応援してくださるわけはありません。

志を立てて、神に誓ったら、そこから自分で努力する必要があるのです。

ここがミソです。

ミソ中のミソかもしれません。

なにしろ、ワールドメイトは「お陰信仰」の団体では決してありません。

人生のいろいろな局面を通して、全人格的に自分を磨き、世に少しでも益することが、何より大事とされているのです。どんな人生を歩むかとか、どんな職業に就くかとか、どういう家庭を営むかとか、この世の全ては、究極的にはその媒介です。

ですから、自分で一歩を歩みだし、努力を始める。

ひとつでもふたつでも知識を吸収したり、志を遂げるのにふさわしい進路や就職先を探し始める。

人間が自分の力で動き出さなければ、絶対に道は開いていかないのです。

神様と一緒に生きるって?

ワールドメイトの三法印。

つまり、ワールドメイトに入って何を学び、何を目指すか。
それは次の3つに集約されると教えられました。

○実在の神を掌握する
○神を行じる
○神人合一の道を歩む

これは実に深い言葉だと思います。

人生のすべてにわたっているのです。人生のあらゆる局面で、「実在の神」を掌握することができますし、神を行じることができますし、それらを通して神人合一することができます。

ワールドメイトに入ると、神様とともに歩む人生が始まりますから、どこまでそれを深めることができるかが、信仰の深まりになり、悟りの確かさになると思います。

もちろん、簡単にやろうと思えば、すごく簡単に体験することはできます。神社で自分にぴったりのおみくじが出ただけで、立派に「実在の神」を実感できます。
(ちなみに、おみくじが一番正確で、微に入り細に入っているのは、個人的な体験でいえば浅草寺が一番のようです。神社ではなく、お寺ですが)

しかし、小さく向かえば小さく答えてくださり、大きく向かえば大きく答えてくださるのが神様です。

どうせなら、日常の些細なことが良くなったとか、ささやかな幸せを得た、という小さなことで終わりたくはないですよね。

もっと大きな事柄で、もっとたくさんの人々が幸せになり、世の中に益することを、神様と一緒にやりたいと思います。

そのためには、「こんなふうな自分になりたいな」「こういう人生を送りたいな」と、途方もないような夢、荒唐無稽とも思えるような願いを神様にかけるのがコツです。

ワールドメイトではこれを「発願(ほつがん)する」といいます。

別の言葉で言えば、「志を立てる」。

その瞬間から神様が受け取り、神様が守り、神様とともに生きる人生が始まるのです。

桜満開、春爛漫!

桜が満開です。

毎年のことですが、春はいいですね。
あったかい風を頬で感じると、なんだか希望で胸がふくらむ気がします。

春は出発の季節。出会いの季節。別れの季節。旅立ちの季節。
湧き上がるような希望と、そこはかとない寂しさと・・・。

春になると、心の中にそういう思いがないまぜになります。

人生いろいろあります。

将来の夢を叶えたい。先々の不幸があればなくしたい。
春はふとそういうことを考えます。

そんなときこそ、お祈りですね。

今日も土曜なので、神社に行き、支部に行ってきました。
神様とともに生きる安心感。ワールドメイトの会員でいる幸せを実感する瞬間です。

人生の岐路で幾度も迷ってきました。
不安なときもありました。
ときに神様が信じられなくなるときも・・・。

そんなとき、渾身の力を込めて、志を立て、神に祈りました。

泣きながら祈ったこともあります。

祈りながら夜を明かしたこともあります。

そういう体験って、後から思うと黄金のように輝いているんですね。
こちらが真剣に、命がけで向かったときの祈りには、神様は必ず答えてくださった。辛ければ辛いほど、苦しみが大きければ大きいほど、神様は大きく受け取り、大きく返してくださったのです。

暗闇を抜け出たら、そこには苦しみの何百倍もの明るさが、そこにあった。

神は人を裏切りません。

私たちが諦めなければ、信仰を折らなければ、必ず神は答えてくださるのです。大切なのは諦めないこと。絶望しないこと。希望を捨てないこと。祈りを絶やさないこと。

体験からにじみ出てきたものは否定できません。

私たちは、神の実在を、そうやって実感してきたのです。

春はいいですね。

人生の時々に思いをはせるから。神とともに生きてきた自分は、いかに幸せだったかを実感するから。それは、人生の山坂が厳しく、暗闇が深かった人こそ、強く実感できるのではないでしょうか。

今、苦しい人。

困難にある人。

悲しくて泣いている人。

・・・がんばれ!

神は見捨てません。だって、春はもうそこに来ているのですから。

がんばれ!がんばれ!がんばれ!

「本物」ってなんだ・・・? 3

前のエントリーで、「宗教者にできることは限られている」と書きました。

では、「宗教者にしかできないこと」って何でしょう?

金?動員力?政治力?

そういうことが得意な宗教団体もおられます。それらが世に益することもありますので、決して否定はしませんが、それらは本来の宗教活動に付随するものです。

本来の宗教活動って?

やはり、目に見えない神仏の世界を扱うのが宗教者です。
神仏に祈り、神仏を動かし、人々を救う。これは宗教者にしかできません。

奈良のお坊さんたちが、チベット仏教者のために、結束して護摩を焚いたり、勤行をしたり、修法を行ったりという話があるのでしょうか。あったら是非教えていただきたい。私も祈りを捧げますから。

宗教者のつとめは、神への祈り、仏への祈り。

世の中が少しでもよくなり、苦しい人、貧しい人が救われるために、朝な夕な祈りを捧げることが、宗教者の使命の第一だと思うのです。

私はワールドメイトの会員として、チベットの人のために祈りを捧げたい。そう思います。
しかし、共産党の一党独裁体制はとてもベストとはいえませんが、性急かつ簡単に崩壊すると、大変な混乱と無秩序を引き起こします。これは恐い。中国史は王朝が倒れて、次が成立するまでの混乱と無秩序で、常に人口の5分の1とか、3分の1が失われてきた歴史の繰り返しです。下手すると数億の民の命が失われるでしょう。とくに、今、中国経済がストップすると、被害は世界に波及します。その恐ろしさは計り知れません。

そうならないよう、なんとか一番穏やかな形で、中国が変容し、中国の全ての民も、日本を含む周辺国の全ての民も、幸せになるように祈るしかありません。

ワールドメイトは、そういうことを祈っているのです。

だから、「世界中に愛をワールドメイト」というのでしょう。

日本の民のこと。
アジアの民のこと。
世界の全ての人々のこと。

毎日毎日、私たちは祈っています。

ワールドメイトは、基本的な政治的な活動には関わらないと宣言しています。
選挙の投票への動員とか、そういったものは皆無です。

そのぶん祈る。

ワールドメイトが妥協を許さず徹底的に神事を行い、祈りに次ぐ祈りに明け暮れるのはそのためです。

誰が首相になってもよい。
どこが与党になってもよい。
皆を幸せにできる方が、ふさわしい位につけばそれでよい。

そういうスタンスです。

これは本物の宗教者にしかできないと思います。

そういうことを教えていただき、祈りの実践をさせていただける。
私がワールドメイトを素晴らしいと思い、ずっとここにいたいと思うのは、そういう宗教者としてのあり方を徹底的に貫いているところなのです。

「本物」ってなんだ・・・? 2

・・・という話は、日本仏教界の方々がしっかりお考えになることでしょう。

なにぶん、宗教者は政治家ではありませんし、まして相手は宗旨(イデオロギー)の違う外国政府ですから、できることは限られてはいます。なんでも真っ向から抗議したり、批判するばかりが効果的ともいえません。
いずれにせよ、日本仏教界がチベット問題にどう向かうかは、その見識と宗教性を反映し、同時代と未来に生きる人々へのメッセージになるはずです。楽しみです。

「この世は無常。一切皆苦」と悟り切り、「他者の苦しみ」といった、「うたかたの現実問題」には一切関わらないというのも、ひとつの見識でしょう。同時に「拝観料」とか「景観」とか「仏を侮辱」とか、「自分達の現実問題」の解決には全力をあげるというのも、宗教勢力のあり方としてはアリなのでしょう。ご苦労さまです。

無論、良心的な仏教者はたくさんおられます。世界中で、敬服に値するような活動を続けておられる方々は、仏教界にも大勢いらっしゃるのです。本当の宗教家だと感服いたします。大事なのは足跡です。そこを見て判断するしかない。本物の信仰と慈悲心で行っておられる宗教者は、売名行為や自らの勢力拡大のために喧伝することを控えますから、ことさらに言わないだけです。

ひるがえって、わがワールドメイト。

貧しい人、困窮する人々を救う、ワールドメイトと深見先生の福祉活動の実績は、圧倒的です。
カンボジアでの24時間無料緊急病院孤児院、中国やアルバニアの極貧地方での学校建設、世界規模の盲人ゴルフ支援活動など、他の追随を許さない救済活動がたくさんあります。

これらの情報は、会員には還元され、多くの人が救われたことをともに喜びますが、どこかの企業や宗教団体のように、新聞や雑誌で全ページ広告をして喧伝することは決してありません。
誰から評価されてもされなくても、もくもくと救済活動を続けているのです。

どれだけ、ネットの一部や、意地悪なマスコミにボロクソ言われても、「侮辱された」と目くじらを立てたり、面子や体面を保つための行動には移らないのです。

もっとも、あまりひどい中傷が続いた際、間違った情報が事実として確定しないために、限定的に法的措置に訴えたことはありますが、真実の主張が公的文書に残ったらそれで満足し、以後は一切訴訟などはしないと宣言したのです。一貫した平和主義です。

そして、見映えのする建物や施設に凝ることはなく、小さいけれど品のいい神社をひとつだけ建てて皆で喜び、全国の施設はレンタルの小さいまま、そのぶんのお金を福祉、芸術、学問の支援といった、世に益することに使っているのです。

自分たちの面子や体裁などどうでもいい。

ひとりでも多くの人が救われたらそれが幸せ。

これが私たちワールドメイトです。
私たち会員は、教団のこういう徹底した姿勢に共感し、喜びと誇りに思っています。

「だからここは本物だ」

いつもそう思うのです。

「本物」ってなんだ?

昨日に続いてニュースを見て思ったこと。

なにかと話題の、奈良の遷都キャラクターについて、奈良のお坊さんの団体が「仏様を侮辱してる」と抗議したというニュースがありました。

この抗議は、「キャラクターは架空の童子だ」としてスルーされたようですが、はてさて、珍しいニュースですね。このお坊さんたちに聞きたいのですが、仏様が侮辱されたら誰が困るんでしょうか?

本当の仏様だったら、たとえ自らに仇なす「仏敵」であっても、慈悲の心で許されるはずです。面子とか、体面なんていうものは、この世の執着の最たるもののようなもの。久遠実成、悠久の真実の世界におられる仏様が、そういうことに目くじらを立てるとはどうも思えないのです。

仏様が、あえて笑われる姿、蔑まれる姿になって人々を救われた話は、仏説にもお経にもいっぱいあるじゃないですか。聖徳太子の前に乞食の姿で現れた仏様の話、光明皇后の前にらい病患者の姿で現れた仏様の話。どちらも奈良のお坊さんが知らないはずがありません。「そんなかっこ悪い姿は、自分の面子が許せん」などと、仏様が言いますかね・・・。

同じ日に、チベットの取材を許された外国記者団が、寺院でハプニング的に僧侶に取り囲まれたというハプニングが報じられました。僧侶たちは記者団に対し、中国政府の残虐な仕打ちを、泣きながら訴えたといいます。中国政府当局が、あわてて記者団を引き離すまでの、15分間の事件だったとか。命がけの行為だったでしょう。世界中にテレビでばっちり顔が報道されましたので、今ごろこの僧侶たちが無事でいるかどうか心配です。

同じ仏に仕える者として、なんという違いでしょう。

奈良のお坊さんたちは、架空のキャラクターには「仏を侮辱してる」とクレームをつけましたが、実際に寺院や仏像が破壊され、僧侶が拷問され虐殺され、尼僧が強姦され嬲り殺され、侮辱と嘲笑の限りを尽くされ続けてきたチベットの半世紀については、何か抗議はされたのでしょうか。
チベットでは仏そのものが否定され、仏教も仏教者も、侮辱と陵辱の限りを尽くされているのです。


自分たちの面子や体面、体裁や外づらをどうこうするよりも、信仰者としての真実を追究し、実際に苦患の世界で苦悶し、懊悩する人々を救うほうが、本当に仏の御心にかなうと思うのですが、どうでしょうか?

「本物」って・・・

人を脅かしてお金をとっていた宗教法人に業務停止命令というニュースがありました。

こういうのを見ると、ワールドメイトの良さがよくわかりますねえ。

なにしろ、ワールドメイトでは、強制や脅かしは禁止。高額の玉串は断られるのです。
自分で「これを神様にお願いしたい」というときに、「いいな」と思ったものがあれば、自分の意志で玉串するだけです。それも、「自分の意志です」という確認の誓約をする。(詳しくはこちら→)

会員の自主性を重んじ、社会性を大事にし、宗教的な中身の本物を追求する姿勢が、ここにはあらわれているといえるでしょう。

外から見ると、宗教団体はみな同じに見えるかもしれませんが、ワールドメイトはこうして他とは違う革新的な運営が行われているのです。

「入会は自由。退会も自由」
これもいつも言ってますので、よそから来た人が肩透かしをされたように感じるそうです。
「そんないいかげんでいいんですか?」
という人すらいます(「おおらか」と言って欲しい・・・)。いいんじゃないでしょうか。

信仰のレベルは人それぞれですし、一人の人の信仰の深まりにも段階があります。また、その時々で事情もあります。求めるもののレベルも内容も、その時々でそれぞれです。

軽いわくわく感だったり、深刻だ大発願だったり、神様と人との間にはいろんなやりとりがあってよい。

基本的には、神様と自分なのです。

神様と自分がどうかかわりあうか。これが全てじゃないでしょうか。

組織や仲間は、神様との関係を築く助けになる大事なものです。コミュニティーにいてこそ、守られたり、深まったり、暖められたりすることは多い。しかし、極論すれば、それらは媒介に過ぎません。

最終的には、神様に自分がどう向かったか。これがすべて。
信仰とは、神様と自分との問題です。

究極には他人とか、組織での地位とか、立場とかは関係ありません。

こういうベースがあるからでしょう。ワールドメイトは他教団から来た人が拍子抜けするほど、自由なんですね。本人がどう神に向かい、どう神から受け取り、どう幸せを感じるか。お互いに、何よりそれを大事にするのです。

だから、脅かしとか、強制とか、組織による拘束とか、そういうものはワールドメイトではありえない。
(エンゼル会など、自分達の自主的な意志で作ったコミュニティーでは、仲間うちでそれなりの責任が発生するのは当たり前ですが、ワールドメイトの組織とは関係のない話です)

そういうあり方が、「ワールドメイトは本物だ」と常に思うところなのです。

メルマガ万歳! 2

メルマガがすごいと思うのは、教祖というより、宗祖じきじきに、とれとれの手紙が末端信者まで届けているということ。

これってすごいことですよね。

イエスやその弟子たちの言葉や、親鸞上人、日蓮上人の手紙というのは、伝聞であっても聖典になってます。それだけ、宗教的、歴史的な意味が大きいのです。

ワールドメイトでは、予言もしますし、その回避も祈ります。
しかし、何より大事なのは、そのことを通してどのような神の教えがあり、宗教的メッセージをあり、それらを後世に残して理想的な世の中を作っていくか、ということ。

私たちだけでなく、メッセージや教えが継承され、理想的な世界を作っていくよう、子々孫々祈り続け、世の中のあり方を正していくことがより重要なのです。

そうやって、少しづつでも改善を続けていけば、人類の未来はきっとバラ色になるはずですから。

そんなとき、後世の人がよりどころとするのが、宗祖の残した言葉、教え、足跡です。
だから、「手紙(メール)」の形で、自ら筆をとって膨大な量を書き続けておられる深見先生は、これまでの宗祖の中でも、人類史への貢献が最大限に大きいことは間違いないでしょう。

なにより、同時代を生きる私たちにとっては、これほどうれしいことはありません。



今、日本や世界でどんなことが起こっているのか。

今、宗祖は何をして、何を思っておられるのか。

そのことを通しての、深いご神意と神計らいとは何なのか。

それを私たちはどう受け取って、どう祈り、どう行動すればいいのか。


・・・そんなことが、常にリアルタイムで伝えられるのです。
こんなありがたいことはありません。

携帯に届くメルマガを読むたびに、ああ、ワールドメイト会員でよかったなあ、と思います。

メルマガ万歳!

他の人のブログでも書いてますが、ワールドメイトの会員には、深見先生からメルマガが届きます。

内容はおもしろく、かつ重厚で、いつ読んでも深い感動に満たされるすごいものです。

先生がお書きになるたびに、とれとれのものを送っていただけるのですが、最近は「なつかしのメルマガ」として、バックナンバーの中から、今にふさわしいものを送っていただけるようになりました。

テーマが普遍的で、何度読んでも味わい深いので、過去のものでもちっとも古さを感じません。

今は、「今日の言葉」や「今日の詩」「今日の書」などと一緒に、こういうものも届くのです。午前中に届くので、毎日の充実度が格段に違います。

それにしても、深見先生のメルマガはすごい。

バックナンバーはもう700号以上あるそうです。本にすると、数十冊ぶんになるのではないでしょうか?
(徐々に本になっていくようです。今、4巻まで刊行されてます)

あれだけ多彩で多忙なご活躍の中で、それだけの原稿を、しかも中身濃く、継続して書き続けてこられた深見先生は、本当にすごいとしかいいようがありません。

一読すればわかりますが、すべて先生の体験に中からにじみ出してきた内容ばかり。文体といい、随所に織り込まれたギャグといい、絶対にゴーストライターなどにはかけるはずがありません。本当に魂を込めてお書きになってこられた作品なのですね。

そんなものを書いてきた作家も、学者も、ジャーナリストも、教祖さんも、今までいなかったのではないでしょうか。

・・・なぜ、そんなことを書くかというと、自分でもブログを書くようになって、文章の大変さを存分に思い知ったからです。

いやあ。

あらためて師匠の偉大さを実感します(^^;)