サミット近し

洞爺湖でのサミットまで、あと一週間とちょとになりました。

新聞やテレビでは、これに関するニュースでいっぱいですね。

サミット警備での、自衛隊の配備状況なども報道されましたが、イージス艦や戦闘機を駆使しての厳重警備を見て、「おいおい、いったい何から何を警備するんだ?」と突っ込みを入れたくなります。

まあ、国を挙げての「お祭り」ですね。

しかし、今回のサミットには、お祭り以上の意味があります。

ワールドメイトでは、サミットの成功をしっかりお祈りするように、と呼びかけがありましたが、本当に、かつてこれだけ重要なサミットがあったかどうか、ちょっと記憶にないくらいです。

まずは環境、すなわち、地球温暖化の問題です。

ここで大枠を出して阻止しないと、もう間に合いません。この秋以降(南半球が春から夏になるので)、南極の氷が劇的に解け始めるといういう人もいます。

それは加速度的に進み、早く手を打たないと、もう止めようがないとか。

ギリギリの大勝負のところですね。

それから、原油、食糧の高騰。

環境問題ともリンクしている問題ですが、それよりも、これらは「利益第一主義」の「化け物」を養成してしまった、世界金融の異常行動がそうさせているという側面も見直せません。

実需経済の何十倍もの「金」が、利益が利益を生む「架空の」システムを作り出し、そのターゲットとして、原油や食糧をダシに使っているというのです。

とくに、食糧問題は深刻です。

わずか、コンマ数パーセントの「守銭奴」のマネーゲームのために、何十億人もの人々の口に食糧がいきわたらなくなっているのですから。

「資本主義」そのものの在り方を、少し立ち止まって考える必要がありそうです。

もちろん、地球環境の問題とか、人口爆発の問題とか、背後にはもっと根の深い問題があり、それらは全部「人類はどうあるべきか」という根本的な問いを含んでいます。

人類は、どんな未来に自分たちを誘おうとしているのか。

そんな問いかけが、人類全体に投げられているのが、今なのです。

そういうときに、先進国の首脳が、北海道に集うという、2008年の夏。

ワールドメイトでは、ずいぶん前から2008年を特別視してきましたし、北海道で何度も神開きし、その神霊的意味を明らかにしてきました。

なんと正確な神仕組かと、ほとほと感心します。

すばらしいサミットになり、人類が自らの未来を、「破滅」から「繁栄」へと舵を切るきっかけになるよう、祈りつづけるしかありません。

「環境は日本がリードする」?

訪日中の、ブレア前首相(英国)が、「地球温暖化対策の道筋は、日本がつけて欲しい」と述べた、というニュースがありました。

日本が議長になるサミットが近いというのもありますが、ずいぶん高く買ってもらってますね。

英国は、いち早く、斬新で劇的な温暖化促進ガスの排出プランを打ち出し続けてきましたが、その英国元首相が日本に期待しているというわけです。

サミットの成功を祈りっている、ワールドメイトの会員としても、身が引き締まる話ですね。

このニュースをみて、先日発表された、自民党のポスターを思い出しました。

流氷の上で、福田首相と白熊が突っ立って肩を組むという、「意外にセンスいいじゃん」と一部に好評だったアレです。

そのポスターと一緒に発表されたのが、福田首相の顔に

「環境は日本がリードする」

と大きな文字であしらった、もう一枚のポスター。


これも「おや?」と思うほど、印象に残りました。


「日本が世界をリードする」
と、日本の為政者が断言する分野は、そう多くありません。

しかもそれは、人類の運命を左右する、究極に大事な分野なのです。

そう言い切れる自信はさすがですが、日本にはそれだけの実績と能力があるのも事実です。


では、なぜ、そうなったのか。

昨日のエントリーに関係するのですが、戦後の日本が、それだけの苦難を乗り越えてきたからです。

4大公害病など、社会の時間で習った痛ましい歴史を、日本は乗り越えてきた過去があります。

また、主要資源やエネルギーのほとんど全部外国に頼るという脆弱さが、石油ショックを機に、世界一のエネルギー効率社会を生み出しました。

危機を乗り越え、苦難を乗り越えてきたからこそ、「世界一」になったのです。

資源大国、エネルギー大国としても君臨してきた米国には、到底できないことです。

だから、環境の分野においては、米国は世界のお荷物です。

その反面、世界中が「環境問題は日本がリードしてくれよ」と期待を寄せるのです。

エネルギーショックや、公害に悩まされた20世紀。もっといえば、太平洋戦争も、石油と鉄を止められたから、しかたなく「窮鼠、猫を噛む」で立ち上がりました。

つくづく、20世紀の日本は、資源とエネルギーと公害に呪われ、世界で一番苦労した。

しかし、それを乗り越えたからこそ、21世紀にはこの分野で世界のリーダーになったのです。

何が幸いするかわかりません。

というより、痛ましい事柄も、しっかり反省して乗り越えたら、未来において吉にかえることができるという、なによりの例ではないでしょうか。


・・・好運と衰運を超えたところにある、永遠の進歩発展。

私たちの人生も、これを目指したいものです。


好運期と衰運期 2

ですから、物事がうまくいかないときほど、信仰の価値が試されることになります。

不遇をどのように生かして、人生をより輝かせるか。

そして、実際に、神様はそのように守護なさっているわけです。

世界中見渡しても、革命や維新の功労者で、牢にも入らず、島流しもされず、死の恐怖や世間の蔑みも味合わず、最初から最後まで幸運の連続だった人はいません。

偉大な学者、思想家、科学者、発明家など、全員が例外なく、言語に絶する苦労と努力を経ています。

巨大な成功をおさめ、栄光を勝ち取る人は、すべてそういう時期を乗り越えてきているのです。すなわち、神様がそのように守護されているのでしょう。

ましてや、神の道に生きる人においてをや、です。

神の道は、生まれ変わり、死に変わりを超えたところに、永遠の魂の救済があり、幸福があります。

それを目指して、今生を精一杯生きているわけです。

たとえ、この世で芽が出なくても、神のために尽くしたならば、それで幸せだ。そう思い切れたら、もう、生きようが死のうが、不遇だろうが不運だろうが、すべてが幸福です。

そういう人生を今日も送り、明日も送り、死ぬまで貫けたら、本当に幸せですね。

そして、そういう人には、神様は功徳の出し惜しみをされないそうです。

なんと幸せなことでしょう。

なんとありがたいことでしょう。

ワールドメイトで、私はそうした人生観を学びました。

道は一歩、また一歩。

この先どこまで行くのかわかりませんが、どこまでも続いているのは確かです。

苦難があっても、苦境にあっても、やはりいつも幸せ。

そう信じ、そう思えることに、深く感謝を捧げたいと思います。

好運期と衰運期

好運のときと、衰運のときと、どちらが好ましいかといえば、それは好運に決まっています。

しかし、好運はなぜやってくるかというと、衰運を乗り越えたから。
もっと言えば、衰運期の苦労に下支えされ、好運の花が開くわけです。

となると、いちがいに好運が良いとか、衰運が悪いとか言い切れないところがあります。

難しいところですね。

ですから突き詰めて言えば、目前の事柄に一喜一憂するのは、バカバカしいということになります。

むしろ、絶頂期にいるときこそ、次に来る退潮に備えて己を引き締め、不運のどん底にあるときにこそ己を磨いて立派になり、不動の幸福を享受できる自分に脱皮する。

深見先生のご著書にもそう書いてありますし、ワールドメイトではそう教えられます。

死にたくないと思っても、すべての人は死ぬわけです。

どんな栄耀栄華も、永続することはありえません。

この世にあることがらに価値を見出すのは、そもそもが虚しい試みです。

ですから、好運とか衰運とかを乗り越えたところで、人生の様々な経験を通じてどれだけ自分の魂を輝かせ、世に益することをしたかだけが、自分の価値になるのではないでしょうか。

・・・とまあ、思い切れたら、相当な人生の達人になれると思います。

私自身、毎日の星占いが気になりますし、手相に出ている未来に一喜一憂しているわけで、こんなとこで偉そうに言えるような人間ではありません。
恥ずかしいといえば恥ずかしいことですが、人間が未完成なのは、いかんともしがたいところ。少しでも立派になるよう、毎日、自分を鼓舞していくしかありません。

でも思うのです。

そんなふうに、好運とか衰運とか、幸福とか不幸とかを超えた人生観を学んだことは、本当に素晴らしいことだな、と。

なにせ、永遠に絶望がありません。

落胆も、悲嘆も、すべて乗り越えて、また一歩、また一歩と人生の歩みを続けることができます。

絶対の孤独の中で、何を思うのか。

本当の悲しみに直面したときに、どうするのか。

どうしようもない絶望の中で、どう考えるのか。

人間の本当の価値は、そんなときに決まるのでしょう。

そして、そこでつかみ取ることのできる幸福だけが、本当に永遠に消えない幸福であり、自分の魂が勝ちとった永遠の宝物でしょう。

ワールドメイトで学ぶ幸福とは、そんな究極の幸福です。

ただの「お陰信仰」とは違うのです。神事に参加すれば、劇的に運勢が向上したり、証が出ることはしょっちゅうですが、そのプロセスで、信仰の真義に基づいた、本当の魂の幸福のあり方を教えていただけます。

ありがたいことです。

北朝鮮の申告・・・

「予想通り」に「期待外れ」・・・。

やっぱりそうか、という感じの、北朝鮮の核申告でしたね。

なんで、この条件を呑んだのか、米国の真意が知りたいです。
「ブッシュはノーベル平和賞を狙って妥協した」という揶揄がささやかれるほど、「ありえない」妥結です。

なにより、核兵器の有無については、まったくスルー。

ありえないことです。

本当に核の平和利用なら、米国にとってどうでもいいことで、わざわざ申告させたり、冷却塔を爆破するパフォーマンスなんか必要ありません。

問題は、「核の脅威」があるかどうかの一点だけでしょう。

すなわち、核兵器です。

北朝鮮は現実の「核兵器保有国」です。
核実験もし、核兵器を持っていると公言している、専制国家です。

なのに、なぜ、核兵器のことはスルーなのか?

核兵器などもっておらず、証明するから何でも見に来いといったイラクをつぶし、今は容赦なくイランをつぶそうとしているアメリカです。

なんで、北朝鮮には目をつぶるのか。

ついに、テロ支援国家の指定解除です。米議会の動きがまだわかりませんが、これで決まる可能性が高いとのこと。

不可解千万、わからないことだらけです。

さすがに、日本人の拉致問題だけはバツが悪いのか、ブッシュが特別に言及して「置き去りにしない」と言っています。しかしまあ、日本人の大半はもう、アメリカを信用しないでしょう。

いったい、何が進行しているのでしょうか?

日本はどうなってしまうのでしょうか?

実は、巷間、とんでもないことが密かに噂されています。

一転してそうなったら、日本の安全保障問題は途方もなく改善されるようにみえて、一歩間違えたらとてつもなく危険になるという事態が、ひそかに進行中だというのです。

それはなにか?

「米朝軍事同盟」だそうです。

・・・・!?

あほのたわごとか、SFだと思っていましたが、こんな不思議な核申告の妥結をみると、あながちないとも言い切れません。

もしそうなれば、朝鮮半島で戦争の危険がなくなります。

そして、中国、ロシアの脅威は、日本や韓国のかわりに、北朝鮮が矢面に立って防ぐそうです。つまり、北朝鮮が「番犬」を買って出るんですね。

日本にとって、いいような話ですが、ひとつ大きな落とし穴があります。

それは「確実に戦争になる」ということです。

ああ。

2015年には、アジアがまとまり、日本がそのリーダーになるという予言がありましたが、そこに至るには、ものすごい山坂があると聞いたことがあります。

東アジアがどうなるか。

まだまだ予断を許しませんね。

ワールドメイトの神事もまだまだ続行中ですから、どんなミラクルが飛び出すかわかりません。

せめて、拉致問題は速やかに完全解決し、一番よい方向に情勢が動くよう、祈りつづけたいと思います。

急展開する北朝鮮情勢・・・

北朝鮮が、26日に核申告に応じるそうです。

そして、これにともなって、冷却塔の爆破を行うそうで、ご丁寧に「6者協議」の構成国から、それぞれ一社づつテレビ局を招待し、核開発停止を宣言する一大セレモニーにするようです。

1昨年には、核実験をしたり、ミサイルを乱射したりして、いさましく吼えていたことを考えると、信じられない変化です。もちろん、本気で信じている人はあまりいませんが。

これにともなって、アメリカは北朝鮮を「テロ支援国家」のリストから外すそうです。

おやおや、日本は梯子を外されたのでしょうか?

一応、日本の体面も立つように、北朝鮮は拉致問題の再調査も約束しました。これもまた、信用できない話ではありますが、「親日」で知られるライスとヒルにとっては、日本に対する最大限のサービスでしょう。
もともと6者協議は北の核開発問題を扱う所でしたので、デッドロックに乗り上げた拉致問題と6者協議をリンクさせる日本の主張は、同盟国にも少し迷惑視されてましたから。

ともあれこれで、一気に情勢が動く気配が出てきました。

すなわち、「米朝国交正常化」と「日朝国交正常化」です。

北への融和姿勢について、前首相の阿倍氏は抵抗していますが、このたびは米国主導です。

拉致問題がどうなるかは、もう米国の利害から、完全に切り離されました。
中東で足をとられている米国としては、北朝鮮のことでこれ以上リスクも負担も負いたくないはずです。

これで、北朝鮮は生き延びたのでしょうか?

東アジアから戦争の危機は去ったのでしょうか?

わかりません。

わかりませんが、ひとつ言えることは、やはり「信じられない」変化が、東アジアを覆っていることです。

北朝鮮が、米国寄りに態度を転じた。信じられないことです。

中国指導部が親日に転じ、それを批判する中国世論にやきもきしている。信じられないことです。

台湾政権が親中に急展開した。信じられないことです。

韓国の政権が、日本に対して歴史問題を持ち出してこない。信じられないことです。

いずれも、この1年で、すっかり大逆転した事柄ばかりです。
少なくとも、どこにも戦争の影は見えず、経済交流を進めて相互繁栄をしようという動きばかりです。

すごいです。

すごいと思います。

みな、ワールドメイトの神事で祈ってきたとおりに、展開してきてます。

そして、あちこちで湧いてくる「東アジア共同体」とか、「アジア太平洋共同体」とかの明るい構想。

もちろん、中国、台湾、韓国、北朝鮮は、いずれも強力な重武装国家ですから、即時に臨戦態勢に入れます。ひとたび流れが変われば、いつでも戦争できる国家群です。油断はできません。

しかしそれゆえに、そんな国家群が、一斉に揃って融和姿勢に転じたことが、本当に奇跡のように思えるのです。

ワールドメイトの神事はまだまだ続いています。

このドラマが、はたしてどんな結末を迎えるのか、祈りを極め、行く末を見守りたく思います。

オバマ、リードを広げる

久々に、米国大統領選挙のニュースが流れてきたと思ったら、オバマ氏がマケイン氏をうんと引き離してリードを広げたとのこと。

ヒラリーの支持者が、すんなりとオバマ支持に切り替えたのが原因だそうです。

もともと、このたびの大統領選挙は、共和党には最初から勝ち目がないと言われていただけに、予想どおりの結論に近づきつつあるようです。

マケイン氏なら、かなり日本寄りの政権になるのはほぼ確実だっただけに、少し残念といえば残念ですが、ヒラリー以外ならまあどっちでもいいでしょう。

地球環境の問題だけでなく、イラク情勢、イラン情勢でも難しい局面にありますし、なにより、メルトダウン状態の金融情勢をなんとか立ちなおさせるのが急務です。

それには、オバマなのか、マケインなのか。

米国民は難しい選択を迫られています。

もちろん、私たちワールドメイト会員も祈りが極まりますね。

今のところ、どちらがいいか神様から明かされていません。(発表されてないだけかもしれませんが)

でも、どっちにしても、米国民にとっても、日本国民にとっても、世界のすべての人々にとっても、一番いい人が大統領になるよう、祈るほかはありません。

こうしている間に、世界は刻一刻と動いているんですから。


『御神示録』ノススメ

今日は、陽のスの神の降臨の日。

深見先生に陽のス神が降臨された記念日です。

ワールドメイトでは、とても大切な日ですね。

ですから、朝からそのことを神様に感謝申し上げました。
外出する予定がなくなったこともあり、珍しく一日家で過ごしました。雨の日曜日でしたが、こんな日もいいものです。

それで、深見先生の『御神示録』を読みふけりました。

いやあ、何度読んでもいいですね。

ワールドメイトの会員しか読めないものですが、何度読んでも、そのたびに新たな感動と衝撃があります。

深見先生が、若いころから血と汗と涙で精進し、神に向かう中で受け取られたご神示です。

私ごときが完璧に理解できるはずがありませんが、読むたびに言葉のひとつひとつが、胸に飛び込み、体を貫きます。

何度も読んでるはずなのに、「あ。こんなことが書いてあったか!」と、言葉が浮かび上がるように目に入ってくるのです。

このあたりが、本当の神様の言葉たるゆえんですね。

知的な理解や、論理性、読解力といったものを超越した世界にある、神そのもののお言葉とは、こういうものなのでしょう。

今日は一日、何度も、

「ほー!」

「おおお!」

「うううううん!」

と感心したり、感激したり、感動したりして過ごしました。

ポケットに入る一冊の『御神示録』と一緒に過ごした一日・・・。

おそらく、今年一番豊かな時間を過ごした一日だったかもしれません。


本当の神が降りているところ

昨日の話をもっと突っ込んで考えます。

神を呪うようなこと、恨むようなことがあったときこそが、本当の信仰の勝負のときだ、といいました。

ということは、本当の信仰の勝負に打ち勝った人は、みな、そんな目にあってきたはずです。

どうでしょう?

一生涯、順風満帆で挫折の体験もなく、人も羨むようなエリートコースを歩み、富貴栄達の極みに達して死んでいった宗教家がいるでしょうか?

いないのです。

本当にいないのです。

少なくとも、若いころに貧困か、病弱か、家庭の不幸に見舞われているか、壮年期にかけて大病するか、弾圧されるか、牢屋に入るか、あるいは最愛の人と死に別れるか、信頼する人に裏切られるか・・・。

そんな経験をこえてこそ、その生き様とメッセージが、時を超えて人々の胸を打ち、世を変え、時代を変え続けます。

宗祖にはそんな体験が不可欠です。

宗教家は学者ではありませんから、その価値は教理教学の論理性にはありません。

どんな宗教的天才が、修行したり、学問して、高度な悟りを得ても、それだけでは不十分なのです。

その信仰が本物であることは、体験を通して、それを乗り越えた足跡をもってしか、評価することはできません。


ここは、ワールドメイト会員である私が、ワールドメイトで学んだこと、感じたことを書くところですから、やはり深見先生のことを考えます。

私も、ブログを書いているだけあって、ワールドメイトに関係するいろいろなサイトはだいたい目を通しました。

そもそも、M氏の引き起こした騒動の渦中から、支部でご奉仕していた私です。

深見先生やワールドメイトがいろいろと根も葉もないことを言われ続け、いまなお理不尽な中傷を受けていることは知っています。

だからこそ、思うのです。

ああ、ここはやっぱり本当の神様が降りているところだな、と。

これだけ、善ひとすじの良心的運営を貫いていても、なお、いろいろ言われ続けるのは、宗教家として深見先生が本物である証拠です。

すくなくとも、何の話題にもならない教祖さんと比べて、日本の宗教史に圧倒的な影響を与えています。

そして、それらを通して、教団が進化し続け、より理想的な団体に脱皮し続けているのです。

この足跡の立派さ。偉大さ。

降りかかる火の粉は払う必要がありますが、振り払った後は、かつての敵すら許し、その幸せを祈るのです。その度量の広さと、愛の大きさには感服します。

それがワールドメイト。

本当の神様が降りている、何よりの証左でしょう。

先日のお知らせにもありましたが、また、規約が改正されるそうです。エンゼル会は総会をします。

ワールドメイトは、またまた、高い次元で、より具体的に人々を幸せにする団体に進化を遂げるのですね。

だからこそ、私はワールドメイトを心から誇りに思い、深見先生を心から尊敬するのです。

「アナタハ神ヲ恨ミマスカ?」

誰でも一度くらいは、「神も仏もあるもんか」と思ったことがあるでしょう。

その逆に、むやみやたらに、「神様ありがとう」と思うこともあります。

特定の信仰をもつ人でも、もたない人でも、どちらも経験あるはずですね。

それはどんなときでしょうか?

はっきりいうと、自分が幸せなときは、神に感謝する。
不幸なときは、神を恨み、呪う。

・・・一般的にそうではないでしょうか。

もっと具体的にいうと、自分の願望が成就したときは、神に感謝する。
自分の願望と逆の結果が起これば、神を罵り、否定する。

これに尽きるでしょう。

もちろん、これは一般的な人の場合ですが、特定の宗教を熱心に信仰している人でも、そうした反応が起こる場合があります。


たまたま証が出ると熱烈に信心し、教祖を生き神様のように扱う。
しかし、思い通りにいかなかったら、神を否定し、その教団に毒づく。

こうして、宗教めぐりをする人の多いこと多いこと。

そして、昔いた教団の悪口ばかり言って人生が終わる人々・・・。

酷な言い方かもしれませんが、この人々は、結局、神を信仰していたのではなく、「より自分の願望を成就させてくれるもの」をあがめていたにすぎません。

これはやはり、信仰とはいわないのではないでしょうか。

よくいっても、「ご利益信仰」「お陰信仰」です。

もちろん、入り口では、お陰信仰もいいかもしれません。
一度神がいるという体験をしないと、信じるも信じないもありません。まずは、神の実在を実感するために、はっきりとした具体的な証が出ることは、悪いことではないでしょう。

しかし、それだけで、本当の信仰が極まるでしょうか。

無理でしょう。

「自分の願望」「自分の利益」を離れ、本当の神の大御心に生きる人には、自分の願いなどそもそもないはずですし、あってもそれを優先させないでしょう。

しかし、それでもまだ足りないと思います。

到底感謝などできず、神を恨んだり、呪ったりしたくなるときに、それでも神に感謝できるか。

本当の信仰が成就するかどうかは、そこにかかっているのではないでしょうか。


たとえば。

人間、皆死にます。死なない人はいません。
愛別離苦といいますが、肉親が死ぬ苦しみは、身を裂くより辛いものです。
それでも、なお、神に感謝できるでしょうか。

信じてた人に騙され、裏切られ、おとしめられてすべてを失う人もいます。
それでも、まだ、神を信じ、感謝できるでしょうか。

不治の病に侵され、万策講じてもなお好転せず、死後の懸念が尽きない。
そんなときに、それでも、神の大御心を受け止め、感謝できるでしょうか。


・・・信仰は一生の事柄です。

そもそもそれは、生死を超越したものです。この世のすべては仮のものにしかすぎません。

この世で経験する苦しみ、悲しみ、虚しさ、残念さなどを、すべて乗り越え、ただただ、そこにある神の大御心を感謝することでしか、信仰は完結しないのではないでしょうか。


そう考えると、年来の願望が「成就しなかったとき」こそ、「神試し」なのかもしれません。

到底、感謝できないような事柄に見舞われたときが、「神試し」なのでしょう。


それでも神を信じるのか?

それでも神に感謝できるのか?

それでも神のために生きようと思うのか・・・?


そこで、その人の信仰の真価が試されるからです。

人間は誰もが死ぬ運命ですし、一度持ったものをあの世に運ぶことはできませんから、すべてのものは、元から失う運命にあります。考えてみれば当たり前の話です。

それなのに、「何か得れば幸せ、失えば不幸」というのでは、やはり信仰する値打ちはないでしょう。

どちらになっても神の大御心です。

神に感謝するしかありません。

それが信仰でしょう。

だから神試しなのではないでしょうか。

ワールドメイトの会員、元会員でも、私の知る限り、こうした神試しに見舞われる人は多いです。

もちろん、会員は、災害や事故などから守られていますが、だからといって、すべての願い事が、思い通りバンバンに成就するわけではありません。
年齢も、性格も、バックグラウンドも違う人々の集いですから、集団を運営する過程においては、むしろ思い通りにならないことも多いのは当然でしょう。

それなのに、ささいなことが気に入らずやめていく人、組織や教祖、中間幹部を批判する人、神を恨む人。
この人々は何を信仰していたのでしょうか?心地よい自分の居場所や、自己実現を求めていたといわれても仕方ありません。

では、神を否定して離れていって、いい人生になったかというと、そんなことはありません。ネットでえんえんと悪口を言ってウサを晴らしているつもりで、膨大な時間とチャンス、そして人生そのものを無駄にしている人々は、その典型といえるでしょう。

その逆に、不遇な目にあい、意図せざる運命に見舞われても、それを神の思し召しととらえ、そこに生き甲斐を見出し、ただただ神に感謝する人もいます。

そういう人は、その後しばらくしたら、運勢が大好転していくことが多いようです。
ある日突然、脚光があたって、スターダムを駆け上がるような人がいますが、よく聞いてみると例外なく、そんな不遇や逆境を、感謝して受け止めた人たちばかりです。

これが信仰の強さ。御魂のバネなのでしょう。

長くなりましたが、やはり、「神を恨むようなこと」があったときこそが、本当に信仰が極まるかどうかの正念場なのだと思います。


そこをどう受けとり、乗り越えられるか。


神はそれだけをご覧になっているはずです。