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タリバン、許すまじ

アフガンでNGO活動をしておられた伊藤さんが殺害されました。

海外で無償の協力活動をする日本人が殺されたのです。悔しいことです。辛いことです。この思いをどこにぶつければいいのか。

天皇皇后両陛下からお悔やみの言葉があり、首相も伊藤さんの気高さをたたえ、犯人に対する強い憤りを表明しました。

外国の人々のために、日本の若者が、その命を捧げたのです。

現地では、住人たちが総出で伊藤さんを探し、遺体を見て涙を流したといいます。

どれほどすばらしい若者だったのか、その事柄が雄弁に物語っています。

深い悲しみと、深い哀悼の意を捧げるしかできませんが、同時に、こんな素晴らしい若者が同世代の日本にいたことを、心から誇りに思います。

それにしても、犯人はいったい誰なのでしょうか。

おそらくは、タリバン系の犯行グループだろうといわれます。


なにしろ、アフガンでタリバンは完全復活しています。

2001年にアフガン戦争がいったん終結した際、ワールドメイトでは菊理姫様は「タリバンは手ごわいわよ」と、その復活を明快に予言しておられました。

いまやタリバンは国土のほとんどを制圧。アフガンに展開する、米英軍基幹のNATO軍は、かろうじて点と点を抑えているだけで、夜はもうわがもの顔でタリバンが活動するにまかせているそうです。

かつて、熱狂的に米軍を迎えた住民たちも、今や消極的だそうです。昼間に米軍に便宜をはかったり協力したことが密告され、夜になると押し寄せてきたタリバン軍に処刑されるそうです。

なんともやっかいなグループです。

タリバンは、「イスラム原理主義グループ」といいますが、友人のイスラム教徒はそういうと真赤になって怒ります。殺人、テロ、略奪、強盗など、彼らのやってることは、何ひとつとしてアラーの教えにそっていないというのです。

米国やイスラエルに対して怒りを抑えられないイスラム教徒の多くは、やはり同じように横暴を極めるタリバンにも怒っているのだとか。

それは、洋の東西、人種のいかんを問わない、普遍的な人間の心情でしょう。

宗教者が、そのドグマのために、人を不幸にして平然としてるのなら、もうそれは宗教者ではありません。

過去、特定の宗教を奉じる者も、特定の宗教を弾圧する者も、何度も同じ間違いを犯してきました。

それゆえ、思想信条の自由が何よりも大事とされ、ドグマのために人を攻撃したり傷つけることは、最大のタブーとされてきたのです。

しかしそれは、21世紀になっても、まだこんな形で色濃く残っています。

それが現実です。


アフガンを突然侵攻して住民を虐殺をしたソ連は確かに悪かった。

しかし、対抗するタリバンもそれに匹敵するだけの行為を行いました。

話し合いも理解も共感もなく、「イスラムの大義」を踏みにじったアメリカが良いとは言いません。

だが、その反撃のためとはいえ、罪もない人々を苦しめる行為が許されるはずもないのです。


憎悪が憎悪を重ね、お互いが正義を主張しながら、中東ではそんなことが何十年も、繰り返し、繰り返し行われてきたのです。

これをどう解決すればいいのでしょうか。


宗派は違えど神を信じる者として、神を信じるという人々に対して、ひとつだけ言いたい。


まず、武器を捨てよ。

そして祈れ。

自らの信じる神に、自分だけでなく敵の幸せをも祈り、しかる後に話し合いのテーブルにつけ。

もし、話し合いが決裂したら・・・、

それでも決して武器をとるな。

また祈れ。

何度でも祈れ。

自分の神が全能であることを信じるのなら、そこに神の正義があると信じるのなら、決して武器をとるな。

祈れ。

また祈れ。

何度でも祈れ。

そして話し合え。

何度、相手に絶望しても、失望しても、宗教者であるなら、神だけは信じ続けられるはず。

神へ捧げる祈りを通じ、神のために死んでいくなら、本望であるはず。

宗教者ならば、どこまでも祈りに徹しよう。

もし、そのさなかに相手に殺されたとしても、不正義は神が裁かれるはず。

祈りの中で死んでいくなら、本望ではないか。

神に祈り、人の幸せを念じて死ぬ以上に素晴らしいことは、ないはず。

宗教者であるならば。

そこだけに、神の誉れがある。

私は、そう思う。



・・・イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒。

中東に憎悪の歴史を繰り返す人々が、いまいちど、その信仰の原点に立ち返るしか、この暴力の連鎖を止める方法はないと私は思うのです。