江戸時代には、日光地震の後に「巨大地震」、「富士山噴火」。

氷見神事が続いています。

またしても結集が遅れ、至らぬことに、2011年の反省が脳裏をよぎります。地震の発生が予想される3月10日頃といえば来週です。一刻も早く誠の結集をはからなければと、覚悟と決意を新たにしたところです。

気になる記事をみつけました。

先日、日光で発生した強い地震について、気象庁は「東日本大震災に誘発された可能性がある」と発表しましたが、巨大地震は常に連動して発生するのです。

恐ろしいことに、江戸時代には、日光で発生した地震が引き金となって首都圏を大地震が襲い(元禄地震)、さらに南海トラフでの大地震も発生しています(宝永地震)。そして、これが引き金となって、富士山の大噴火が発生したのです(宝永噴火)。

何もかも、ワールドメイトで預言された内容とぴたりと符号します。

こうした過去の例をみても、今、この瞬間にできることをやり尽くすことがいかに大事か、あらためて痛感します。


■列島縦断!! 巨大地震、不気味な連鎖 未明に千葉「3」 日光「5強」が引き金…
 
2013.03.02

東日本大震災の影響を受けた地中の活動が止まらない。2月25日に栃木県日光市で最大震度5強の地震が発生、2日未明にも、千葉県館山市で震度3の地震があったように、関東周辺で連続しているのだ。専門家が注目しているのは今回の震源地。かつて、日光での強い揺れが“引き金”となり、関東一円を大地震が襲い、さらに南海トラフでの巨大地震まで起きていたという。3・11から2年が過ぎようとするなか、不気味な過去が浮かび上がった。 

 世界遺産を抱える日光が強い揺れに見舞われた先月25日。マグニチュード(M)6・2の地震について、気象庁は「東日本大震災に誘発された可能性がある」(永井章・地震津波監視課長)との見解を示した。

 千葉県で2日午前1時35分ごろ発生した地震の規模はマグニチュード(M)4・8、震源地は房総半島南方沖という。大震災からまもなく2年になるが、活動が収まる気配はない。

 日光では過去にも大きな地震が発生している。江戸時代の1683年10月20日、当地の関谷断層を震源とした「日光地震」(M7・0)だ。政府の地震調査研究推進本部によると、この地震による山崩れで川がふさがれ、せき止め湖ができた。湖は後に決壊し、大洪水になったという。

 気になるのは、日光で大地震が起きたその後の動きだ。

 『地震の日本史』(中公新書)などの著書がある産業技術総合研究所の寒川旭(さんがわ・あきら)客員研究員(地震考古学)が解説する。

 「1700年代のはじめには元禄地震、宝永地震と非常に大きな地震が続いている。日光地震との直接的な因果関係は分からないが、日光から関東の沖、さらに南海トラフという順番で大地震が発生したことには注目すべき。同じ順序で大災害が相次ぐ可能性はある」

 元禄地震(M8・2)は房総半島沖を震源とし、現在の神奈川県平塚市、小田原市などが最大震度7の揺れに見舞われたといわれる。江戸の街も多数の家屋が倒壊。被害は関東一円に及び、6700人が死亡したという。1923年の関東大震災と同タイプの地震とされる。

 宝永地震(M8・7)は南海トラフで起きた東海・東南海・南海の3連動地震。20メートル超の大津波が現在の高知県に押し寄せたほか、大阪でも津波で7000人が溺死したといわれる。死者は推定で計2万人。同タイプの地震が発生した場合、内閣府の有識者検討会は死者は最悪で32万3000人に達すると推計している。いま、最も警戒されている巨大地震だ。

 さらに宝永地震の49日後には富士山で「宝永大噴火」まで発生している。

 「元禄地震は日光地震の20年後に起きた。この間隔はもっと短くなることもあり得る。17世紀は初頭に三陸沖で大きな地震があった後、青森沖や房総沖、元禄地震の関東、宝永地震の西日本へと活動が移っていった。大きな流れとして、3・11を発端にした活動は東から次第に西へと移っていく可能性がある。実際にあった過去の事例は教訓にすべきだろう」(寒川氏)

 南海トラフと首都圏の地盤は連鎖して動くことが多い。同じく江戸時代には1854年に安政東海地震(M8・4)、その32時間後に安政南海地震(M8・5)があった後、翌1855年に首都直下型の安政江戸地震(M6・9)が起きた。現在では最も人口が集中する首都圏と、工業の要となる太平洋ベルト。順番の前後はあったとしても、短期間のうちに主要な両地域が相次いで大地震に見舞われる危険は高い。

 3・11からもうすぐ2年。首都圏住民の記憶から、帰宅困難など発生当日の記憶は薄れつつある。災害は忘れた頃にやってくる-。忍び寄る大災害への備えを怠ってはならない。