寺社に奉賛させていただく喜び

ところで、こうして「玉」が揃ってくると、もうひとつわくわくすることがあります。

ワールドメイトの世界一観音様の奉賛です。

生まれつき才能があって運もよく、容姿も性格も素晴らしい家系を時折みかけますが、ほぼ間違いなくご先祖様が大きな徳を積まれている家です。飢饉の時に人々の命を救ったり、人々が幸せになる尊い教えを広めたりすることも徳高い行いですが、寺社をととのえた徳もまた大変に偉大なことです。その功徳は7代続くとも聞いたことがあります。

子々孫々、それだけの幸せが授かるということは、「徳を積む」というより、「徳を積ませていただく」といったほうが正確です。

もちろん、お導きをしたり、ご奉仕をしたり、お玉串をしたりと、法施、体施、物施をさせていただくのはそれ自体が人生における最上の喜びです。株式投資か何かのように「今のうち徳を積んで、後で幸せになろう」という「見返り」を求める心は最初からありません。

しかし、たぶん、それゆえにこそ、私の知るワールドメイト会員の友人たちは、20年くらいたつと「心から幸せ」という境遇になっています。ご神業ですから人智でわからないこともありますので、「理不尽だ」と思うようなことがあったとしても、それを「神試し」「神鍛え」と受け取って「感謝、感謝」で御魂の恩頼として生きてこられた方は、ほぼ必ず幸せになっています。(その逆に、なんでもかんでも不満と文句ばっかり言う人は、どこへ行っても同じような傾向になるとも聞いています)

そして、そうした幸せは本人だけでなく、お子さんなどにも色濃く出てくるようです。神様のご加護をうけて素直に育つ上に、幼い頃からよい出会いがあり、よい教育を受けられ、才能と運気にめぐまれたよい人生を歩まれる会員2世、3世が増えてきているように思います。お子さんがおられない場合は、来世、生まれ変わった時に自分自身がそうした人生を歩ませていただくのだと思いますが、本当に神仏に捧げたものは、何百倍、何千倍、何万倍になって返ってくるのだと心から実感します。

そう考えると、こうして各地の「玉」が揃い、世界一観音様への奉賛をさせていただく今というのは、人類史上かつてなく、また、今後もちょっと考えられないくらいの千載一遇のチャンスかもしれません。「貧者の一灯」とはいえ、そこに込める真心は無限大です。見返りを期待するつもりは毛頭ありませんが、しかし、とても素晴らしく、幸せな機会を与えていただいていることを考えるにつけ、どうしてもどうしてもわくわくしてしまうのです。