言葉は大切。

ふと思ったことがあります。

一般的な社会でもそうですが、やはり、お言葉が悪い人は、良い人生になっていないです。常に人の悪口を言い、環境に文句を言う人は、いつまでも悪口を言い、文句を言うような立場と環境にいます。対称的に、常に周りの人を褒め、与えられた環境に感謝をする人は、どんんどん運も開けていきます。ある程度、年をとって、友人知人一般社会を見渡してみると、あたかも「時間が裁く」ようにして、そうなっています。

「天知る、地知る、人が知る」です。どんなに正論を述べたとしても、悪口で人を傷つけるクセがあり、対話が成り立たない相手だと思われたら、誰が相手にしようとするでしょうか。一方、誰かを評価したり、褒めたりする言葉というのは、めぐりめぐって、必ず相手の耳に入ります。いつか決定的な時に力になってもらえますし、一緒に過ごして気持ちよい人であれば、いろいろな人が味方になってくれますから、人生は自動的に開いていくのでしょう。

「天知る、地知る、人が知る」ですし、神様は言葉の端々、心の隅々までちゃあんとお見通しです。ご神業に生き、神様の斎庭にいる私達は、よい言葉を使わないのは勿体ないです。常に神様を言祝ぎ、与えられた環境に感謝する人は、いろいろと試練や神試しはあっても、最後はとても素晴らしいご褒美のような人生を頂いています。何を天命として、どれくらいの寿命で生まれてくるかは人それぞれでしょうが、死してなお、本人の魂が「幸せだった」と実感するような何かを、必ず授かっています。少なく私が体験する限り、ひとつの例外もなくそうでした。

自分を含め、人間は誰だって不完全です。不完全な人間が組織を作り、社会を営むから、どうやっても人の世は理不尽です。そして、理不尽だからこそ、魂が磨かれ、徳を積むチャンスがあるのです。ということは、誰かの悪口を言いたくなったり、環境に文句を言いたくなったりする時こそ、神様に感謝しなければヘンということになるのではないでしょうか。

かつて、あれほどワールドメイトや深見先生を叩いていた意地悪なメディアも、もう、叩くところがなくなってきたようですが、ワールドメイトの歴史は、常に生成化育・進歩発展の記録です。その都度、その都度、課題があり、進化の余地がありますので、不満を言えば言えなくもないでしょうが、それを「より良くなるための伸びしろ」としてポジティブにとらえるか、「足りないからけしからん」とネガティブにとらえるかは、その人の生き様、人生観次第なのだと思いますし、そこを神様は見ておられるのだと思います。

そんなことを考えながら、いつもこのブログを書いています。